世界三大美女とは誰が決めた?小野小町は日本だけ!?

「世界三大美女」という言葉を、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。

しかし、世界に知れ渡る3人の美女が誰なのか、またその人物には複数の説があることをあなたはご存知でしょうか?

実は日本と世界の「世界三大美女」の認識は異なるのです。

今回は、真の「世界三大美女」とは誰なのか、また3人の特徴や美女と言われる理由、共通点などをご紹介します。

目次

世界三大美女は誰が決めたの?

「世界三大美女は誰が決めたの?」という疑問をよく見かけます。

そして、その答えとしては「正式に誰かが決めたわけではない」が正解です。

長い歴史や文化、文学の中で「この3人!」と言われるようになっていきました。

日本では、江戸時代頃から「世界三大美女」の言い回しが広がったという説があり、昔の人たちが「世界で有名な美女を3人選ぶとしたら誰だろう」といった感覚で、自然と定着していったようです。

世界共通の三大美女とは誰のこと?

世界三大美女は、「クレオパトラ」「楊貴妃」「ヘレネー」の3人です。

クレオパトラはエジプト王朝最後のファラオ(王)、楊貴妃は中国(唐)の皇帝から寵愛を受けた美女、そしてヘレネーはギリシア神話に登場する、スパルタ王メネラオスの王妃です。

「小野小町は?」と思った方もいるかもしれませんが、こちらについては後ほど解説していきます。

まずここでは、彼女たちがどのような人物だったのか、具体的に見ていきましょう。

①クレオパトラ7世フィロパトル

クレオパトラは本名を「クレオパトラ7世フィロパトル」といい、古代エジプト・プトレマイオス朝における最後のファラオ(王)となった人です。

18歳の時に父が逝去すると、父の遺言で弟のプトレマイオス13世と結婚し共同で王位に就きました。

しかし次第に、姉弟のなかで政治のやり方にすれ違いが生じ、クレオパトラは国境へと追放させられてしまいます。

そんな時、当時強さを増していたローマの権力者・カエサルがエジプトに借りを作ろうとして姉弟の内乱に割って入ります。

そこでクレオパトラに魅了され、2人はたちまち愛人関係になるのです。

その後、カエサルの後ろ盾を得てクレオパトラは弟をエジプトから追いやると、見事にファラオとしての地位に返り咲きました。

その後クレオパトラはもう一人の弟と婚姻関係を結びますが、カエサルとの関係は続き子供まで産み、実質的なエジプトの支配者はカエサルとなります。

ところがその後、ローマ皇帝のような立場を得たカエサルに対して危機感を抱いたローマの重臣たちが、カエサルを暗殺します。

そこで今度は、カエサルの部下であったアントニウスを魅了し愛人関係になり、3人の子どもをもうけます。

ただ、アントニウスは彼女に夢中になり自国をおろそかにした結果、市民の不満を買い、権力を狙っていたオクタヴィアヌスなどから反乱にあい、クレオパトラと共に敗れてしまいます。

クレオパトラは敵軍を巧みに言いくるめて操ることは無理だと悟り、また生きて降伏すればローマの嘲笑を免れないと知って、日頃から用意していた毒蛇に胸を噛ませて自殺しました。

クレオパトラは一国の王としての誇りや愛国心だけでなく、卓越した知性と教養、そして政治的手腕にとても優れていたとされています。

また、7か国語を話せたと言われており、努力家であることも分かりますね。

一方で彼女は、人が振り向くほどの美女ではなく雰囲気や優雅で穏やかな話し方から美人と言われたという説もあります。

美貌よりも、巧みな話術とまるで小鳥のようだと評された非常に美しい声が女性としての魅力が、美人というイメージにつながっているようです。

アントニウスを魅了するために船全体をバラの香りで満たし彼を迎え入れ、視覚のみならず嗅覚でも相手の心を奪おうとしたことから、彼女の気配りや人を惹きつけるテクニックも窺えますね。

②楊貴妃

中国・唐の玄宗皇帝の寵愛を受けた美女で有名な楊貴妃は、皇帝が寵愛しすぎて乱を引き起こしたと伝えられたため「傾国」の美女と言われるようになりました。

玄宗は息子の妃である彼女に魅了され、息子から奪い自分の妻とします。

そして、妃の最高位の「貴妃」という位をつけたため楊貴妃と呼ばれるようになりました。

玄宗から寵愛を受けてあらゆるものを与えられた楊貴妃ですが、その性格は慎ましく自ら贅沢な生活や豪華なものを欲することはなかったと言われています。

また、幼い頃から美しく育った楊貴妃は、楽器や歌舞にも優れていたとされまさに才色兼備、玄宗皇帝は彼女の魅力に溺れ、政治の重責を一時忘れてしまうほどだったそうです。

楊貴妃が寵愛を受けたことによりその一族も厚遇を得て大きな権力を持ちます。

しかし家臣たちが不満を持ったこと、そして玄宗の政治力の衰退と楊一族が権力を持ちすぎて横暴に振舞ったことで、楊一族の時代は長続きしません。

安禄山が楊国忠を討つことで玄宗の目を覚まそうと安史の乱を起こしたのです。

また、その悪意は楊貴妃にも向けられてしまい、楊貴妃は楊国忠・玄宗とともに逃亡しましたが、その途中で楊国忠が玄宗の部下に殺されてしまいます。

それからすべての要因は楊貴妃にあるとし、玄宗に楊貴妃の処分を求め、玄宗は泣く泣く彼女の首を絞め楊貴妃は亡くなったといいます。(※楊貴妃が自害させられたという説もあります)

その死後、彼女を悼む詩が多く作られ、その美しさと儚さが象徴的な存在となったのです。

楊貴妃の逸話として、彼女が入浴する際にその香りが3日間も消えずに漂ったとされる「湯浴み(ゆあみ)伝説」があります。

これは、楊貴妃が特別な香りのある入浴剤を使っていたためだとされており、美しさを保つための努力が窺えますね。

③ヘレネー(ヘレネ)

ヘレネ―は、ギリシア神話に登場する女性で、なんと実在しない人物が世界三大美女として挙げられています。

ヘレネ―は古代ギリシャの美女として名高い存在であり、その美しさは数々の詩や文献に讃えられています。

彼女の魅力は単なる外見の美しさだけでなく、その背後にある深い知性や教養、そして高い品格にもあると言われています。

父は全知全能の神と言われ全てを司る絶対的な存在であるゼウス、母は同じくギリシャ神話に登場する翼を持つ女神・ネメシス。

この2人を両親に持つヘレネ―もまた、ギリシャ神話において特別な存在です。

成長するにつれて美しさがどんどん増していき、やがて地上で最も美しい女神と呼ばれるようになります。

彼女の結婚相手を決める際はギリシャ中の男性が集まったとされています。

そのたくさんの男性の中から、ギリシャの英雄であるメネラーオスと結婚します。

メネラーオスと幸せな結婚生活を送っていたヘレネ―ですが、その美しさからトロイア王国の王子にさらわれ、後に王が関与するほど大規模な「トロイア戦争」に発展しました。

その戦争は10年も続いたといいます。

世界三大美女|小野小町は日本だけ?

さて、先ほど世界三大美女の3人で、クレオパトラ・楊貴妃・ヘレネの3人を挙げましたが、疑問に思った方もいるかもしれません。

なぜなら、日本で世界三大美女といえば、ヘレネの代わりに「小野小町」を思い浮かべる人が多いでしょうから。

もちろんそれも間違いではないのですが、どちらかというと小野小町は日本だけでの認識なのです。

世界共通の認識では小野小町ではなく「ヘレネー」。

海外の方にとったら小野小町を知らない方のほうが多いくらいです。

それを受けてか否か、昔GUのCMで「世界三大美女」として、香椎由宇さんがクレオパトラ役、波留さんが楊貴妃、そして山本美月さんがヘレネ役として出演しており、小野小町は登場していません。

では、小野小町はなぜ日本で世界三大美女の一人として挙げられるのか、またどのような人物だったのかをご紹介します。

小野小町は平安時代の女流歌人で、六歌仙・三十六歌仙のひとりとして知られています。

なかでも「百夜通い(ももよがよい)」という恋愛にまつわる逸話が有名です。

ある求婚者に対し「百夜通い続けたら結婚する」と約束しましたが、あと一日という百夜を前に男性は病気で命を落といしてしまいます。

これを知った小野小町は自分の送った歌をたいそう悔やんだそうです。

小野小町の美しさは、日本の風土や四季の移り変わり、そして平安時代の風俗や生活様式に影響されて形成されたものであるため、西洋の美の基準とは異なり世界の三大美女としての認識が低いのだと考えられます。

和歌だけでなく伝説的な美貌の持ち主だったと語り継がれていますが、一方でそれほど美人ではなかったのではないかという説もあります。

なぜなら平安時代は人に顔を見せる機会はほとんどなかったからです。

美人のイメージが定着したのは、和歌の名手であったことが起因しているのでしょう。

また、世界三大美女として名を連ねることから、髪や服装、振舞いなどから評価されたのだと推測されます。

国を傾けるほどの美貌と言われた3人と比べると、少し違うような気もしますね。

ただ、遣隋使の小野妹子の家系、奇才と呼ばれた小野一族という政治や文化人が多いことからも、才色兼備であることは否めないでしょう。

しかし彼女の晩年は物乞いにまで転落し、悲惨な最期を迎えたといいます。

世界三大美女の共通点・特徴

「美女」の定義は、国や時代によってさまざまです。

目がクリっとしている人、肌が白い人、髪が黒く長い人、背が高い人、ふくよかな人など…。

しかし定義は違っても、他を圧倒するほどの「人を惹きつける魅力がある」という点においてはどの国、時代でも共通です。

世界三大美女の3人、あるいは小野小町を入れた4人の国や時代、背景はさまざまですが世界中で「美女」と言われるだけの特徴や共通点があります。

ここではクレオパトラ・楊貴妃・ヘレネ、そして小野小町の特徴、共通点を見ていきながら、彼女たちが国や時代を超えて「美しい」と語り継がれているその所以を探っていきましょう。

傾国の美女

まず世界三大美女に共通して言えるのは、国を傾けるほどの美女だということです。

容姿はもちろん、声や性格においても美しく誰もが魅了されついていきたくなるような人物だったとされています。

特にクレオパトラの小鳥のような美しい声と、楊貴妃の慎ましい性格はおそらく現代においても人を惹きつけモテる要素となるでしょう。

そのような美しさは皆を夢中にさせ、政治を放棄したり戦争を引き起こしたりと、まさに「傾国の美女」と語り継がれるほどでした。

知性がある

単なる美しさだけでは周りから寵愛を受け続けることは難しいでしょう。

彼女たちには他を圧倒するほどの知性や教養も兼ね備えていたと思われます。

自分が国や周囲に与える影響力をきちんと理解していたことで、高い語学力や話術であらゆる者たちを惹きつける力が彼女たちにはありました。

国や時代を変えるほどの影響力

「美女」いう言葉にはなかなか結び付かないような気はしますが、彼女たちには国を変えるほどの影響力がありました。

クレオパトラは一国の王であるため、自らの振舞いによって国を栄えさせたり時には揺るがせてきました。

楊貴妃は多くを望む性格ではありませんでしたが、玄宗皇帝は彼女を溺愛していたことから彼女が望めば国を動かすくらいのことは容易にできたでしょう。

ヘレネ―も国中から男性が集まったり戦争を引き起こすほどであるため、彼女の一言で簡単に国がひっくり返るくらいの影響力はあったかもしれません。

小野小町も高い教養力で、歴史に名を残すほどの歌人として伝えらえています。

現代の視点で見る世界三大美女

小野小町を含む世界三大美女は、各々の国や時代の基準のなかで最も美しいとされていますが、現代に存在していたら私たちの目にどう映るのでしょうか。

ここでは、現代の視点で世界三大美女を見てみましょう。

クレオパトラ
当時はアーモンド形の大きな目と濃いアイメイクが理想で、エキゾチックな顔立ちとギリシャ系の美しい骨格、香りやスキンケアにこだわり化粧が重要視されました。現代の視点だとクレオパトラはやや個性的な顔立ちですが、知性やカリスマ性は今の時代でも多くの人を魅了します。

楊貴妃
当時は健康や富の象徴である「豊満な体型」が美の象徴とされた時代。また色白、なめらかで長い髪、優雅な動作が美人の条件でした。色白や美しい髪は現代と変わらず美しさの基準となっていますが、体型はスリムなほうが好まれるため、現代では楊貴妃は「美女」の基準とはやや異なるかもしれません。

ヘレネー
ヘレネ―は神話の人物ですが生まれたときから「絶世の美女」と言われるほどの美貌でした。語り継がれている容姿ではシュッとした面長できれいな鼻筋が通っており、髪はパーマがかかっているようです。現代でも鼻筋がきれいな人は美人に入り、パーマなどのヘアアレンジもさまざまであることから、ヘレネ―は現代でも人を惹きつける要素を持っていると思われます。

小野小町
白い肌と黒い髪、ふっくらとした顔立ちと穏やかな表情、切れ長の細い目が美しいとされた小野小町の時代。現代はシャープな顔立ちと大きな目が美人像とされているため当時の基準とは異なりますが、白い肌と長く黒い髪は変わらず美しいとされますね。また、知性や芸術的才能も現代に通じる魅力です。

世界三大美女は単に外見が美しかっただけでなく、知性・カリスマ性・才能が備わっていた点が、より多くの人を魅了した理由であることがわかります。

まとめ

いかがでしたか?

世界三大美女は単に美しいだけではなく、歴史や文化に影響を与えた人物として記憶されています。

現代に伝わる美の基準や価値観とのつながりも感じられますね。

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この記事を書いた人

趣味が多く一人行動大好きなwebライターです!

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